育児の何がつらいって、例え自分がエンジン全開!ガンガン行こうぜ!!な、気分じゃない時でもこどもはお構い無しのフルパワーで挑んでくることだ。
こどもにとって、ママはオールオッケーな存在。
多少の機嫌の乱高下はあれども、自分のことを絶対的に受け入れてくれる、最強の味方。もとい感情のサンドバッグ。
さて、こどもたちよ。知っているかい?お母ちゃんにだって晴れの日もあれば雨の日もある。
仕事がとことん上手くいかず凹んでいることもあれば、パパの靴下がまるまった状態でなぜか机の上に置かれていて呆れ果てている日もあるし、見知らぬおっちゃんに理不尽にからまれて、顔はすましていても内心怒りを抱えている日もある。
これはそんなときの話。
【かーさん劇場】芝居を止めるな!
その日、私はまったくもって上手くいかない仕事になやんでいた。
時刻は夕暮れ、家に帰ってすぐに夕飯を作らねばならないタイミングというのは分かっている。その為に帰り道でスーパーに駆け込み、食材をエコバッグからはみ出さんばかりに買い込んできたのだ。
しかし、今日はどうにも元気がでない。
もしこれが自分ひとりなら、ごはんも食べずにビールを飲んで、シャワーを浴びてバタンと寝たい。そんな気分。
けれど、こどもにとってそれは関係のないことだ。
私の帰宅と数分差で長男が学童から帰ってきた。汗だくのキャップを脱ぐと、リュックサックから畳まずに詰め込まれたタオルや、クシャッとなった宿題が引き出される。そして底の方から古風なデザインの赤いバンダナに包まれたお弁当箱が顔を出した。
突然だが、我が家ではここで毎回寸劇が始まる。
「ママごめん〜。お弁当ピカピカにできなかった」
そう言いながら、申し訳なさそうに眉間にしわをよせ、上目遣いでこちらを見上げてくる息子。だが、その口元には堪えきれない笑みが浮かんでいる。そして両手で大切そうに、下手くそに包まれたお弁当箱をさしだしてくる。
これは息子なりのイタズラ心。そして、母へのサプライズだ。
彼は母にこう言って欲しいのである。
『そっかぁ、食べられんかったか〜(母、おべんとう箱をパカ) ・・・えっ?! なんや〜! ピカピカに出来てるやん! すごいやん!!!(母満面の笑み)』
残念そうな顔から、驚きに目を見開き、満面の笑みに至るまでのもったいつけてくりだされる劇団おかんのオーバーリアクション。
それを彼は毎度飽きずに満足気に見つめてくる。
「ママ、うれしい? ぼくがお弁当ぜんぶたべてきたから、うれしい?」
『うん、嬉しい。ママ、ゆうせいがお弁当ピッカリんしてくれたからめっちゃ嬉しいわ〜』
そして親子はぎゅうっとハグをして、おかえりの儀式が完了する。
・・・断っておくが、これは初めてのお弁当の話ではない。このお弁当のやり取りは繰り返されること数十回、もはやクライマックスはみなさんご存知の寸劇である。コントである。
それでもそこはお母ちゃん。愛情のメーターが振り切れている常ならば、いくらでも付き合ってなんなら息子の方が嫌がって離れるまでハグしてちゅーして構い倒しますとも。
しかし、いかんせん、息子よ。今日はこちらのヒットポイントが足りない。
お母ちゃんはね。今すぐにでも冷蔵庫をバァンと開け、冷えたビールを取り出してプルタブに指を伸ばしたいような心境なんだ。
それでもなんとか大人は表情筋を叱りつけ、口の端を大きく上げて「ママごめん〜」に対応する。
しかし無常にも問題は発生する。どうにも感情がこもらない。音にのらないのだ。
子どもというのは親の声色に敏感だと言う。普段の大袈裟ボイスがどうにも出せない事に、息子も容易く気づくだろう。
だがそれでも1度はじめた芝居を止める訳にはいかない!カメラを止めるな!!
『おー空っぽやーんありがとねー』
すみません監督、無理でした。
【おれ】の始まり
しかし、息子は予想に反してこちらの状態にはお構いなしだった。ガンガン来る。
「ママ、うれしい? おれがお弁当ぜんぶたべてきたから、うれしい?」
さてはきみ、こっちの反応はどうでもいいな?さすが何十回と繰り返してきた流れだ。流せばいいのか。てか、それなら毎度この下りやらなくても良くない?割と毎回気合い入ったリアクションしてるんだよお母ちゃん・・・って、うん? ちょい待ち。きみ、今なんて言った? おれ?・・・おれって、【俺】のこと???
こんなテンションだが、母親の耳というものはよく出来ているもので、めざとく息子の言葉の変化を察知した。
そう言えば、小学校にあがってからというもの、長男はなかなかヤンチャな、少年らしい言葉使いをするようになってきた。
そしてこの度、一人称を【おれ】ときたか。
一人称の変化は、ささいなことのようで案外あなどれないと思っている。言葉の発育が遅かったこの長男は、2歳頃から自分のことを舌っ足らずに名前呼びしはじめた。そして年中さんくらいから【ぼく】になった。
その頃から、ひとり遊びが多かった彼が友達とどんどん関わるようになり、友達の輪の中にいる事が多くなった気がする。
大袈裟な言い方をすれば、自己を表現する言葉の習得、そしてその変遷と共に、彼は自分と他者の関わりを学び始めたようだった。
そういった一人称とコミュニケーションの正比例した変化を経ての、彼の今日の【おれ】である。
息子の成長の”におい”
ああ、これはー
きちんと1人の個として、この質問にきっちり返さねばならない。
心の指でひっかけたプルタブを戻し、今度はちゃんと笑顔で息子に向き合った。もう彼は幼児ではないのだ。
母としての使命感を胸に秘め、テーブルに蓋を開けたお弁当箱をおくと、膝を曲げて目線を揃え、成長を遂げた長男に話しかける。
『食べてくれて嬉しいよ、ありがとう。ピーマンも入ってたのに、頑張ったね』
それはいつものセリフだけれど、改めてきちんと思いを言葉にすると感情は自然と音にのった。それからハグすべくわたしは両手を広げた。
するとすぐに、息子は吸い込まれる様に抱きついてきた。ぐりぐりと、最近絶妙な柔らかさを誇る母の腹部に頭をすりつけ、にこぉっと笑って顔をあげてくる。
「ぼくね、ママだーいすき!いつもお弁当作ってくれてありがとう!」
・・あれ?【ぼく】だ。
驚く母を尻目に、一通り儀式を終えて満足した息子はさっさと子ども部屋に向かう。そしてお気に入りの<最強のりものヒーローズ>のページをめくり始めた。そこにいるのは保育園児の時とちっとも変わらない、いつもの彼だ。
長男の中で、自分とその周りとの関わり方が1日1日の積み重ねで塗り重ねられていく。
新しい環境、変化した生活様式、頼られる年長さんから指導される立場の低学年さんへの移り変わり。
どんどん成長する息子の中で、積み重なった経験が新しい言葉として発露して、揺れている。
この曖昧な言葉のグラデーションは、出会う人、触れる経験によって、容易にこれからも変わるだろう。
まったく、こどもは真っ白なキャンバスとはよく言ったものだと思う。
さて果たして、今日胸に抱えた母のこの肩すかしの使命感はどこへもっていけと言うのだろう。
ため息をひとつ、テーブルに置いたお弁当箱を洗うべくもちあげると、夏らしく少々臭った。
頑張って空っぽにしてくれたお弁当箱も、
暑い中歩いて帰ってきて汗をたっぷりかいたTシャツも、
友達と公園ではしゃいで泥まみれのスニーカーも、
ママにかけるありがとうの言葉も。
息子からのママへのプレゼントは、
いつだってちょっとクサイのだ。
寄稿:イソカカさん
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【きのう野菜食べた?】イソカカ
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