育児体験談

【ワンオペ育児で孤独感】わたしが救われた3つの場所

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こんにちは、リン☆だあく(@rindark)です〜!

わたしは、妻が、仕事の都合で夜勤勤務を経て、単身赴任に突入していました。

かれこれ10年近くになりますね。

わたしの両親はなくなったり、身体が不自由だったりして当てにならないし、妻の両親も自営業で時間が空かない状態だったので、わたしは仕事をしながらのワンオペで育児を経験した珍しい主夫です。

当然、一人でみるのは限界があるので、これから書く3つの助けがあってなんとかやってこれました。

それを今回はご紹介いたします。

ワンオペ育児の孤独感を救ってくれた叔母の家

わたしには、母は亡くなっていて、頼れず、父は体を壊して施設に入っていました。

わたしの兄弟たちは、わたしの住んでいる山形から遠く関東で仕事をしてたため、妻がいない間は、ずっとワンオペで育児をしていました。

そして、初めて知ったのですが、一人で育児をしていることがかなりの孤独を感じることだと。

とくに私はパパだったので、ママ友なんて言うのもおらず、パパたちはその頃は育児に参加する様な時代でもなかったので話が通じず、本当に孤独と戦っていました。

それを救ってくれた最初の場所は叔母の家でした。

育児の孤独を理解してくれた叔母たち

子育てをすることを母以外で一番身近でよく知っていたのは、母の妹である叔母二人でした。

わたしが育児に疲れて心が辛くなった時に、頻繁には行けませんでしたが、たまに駆け込んで休ませてもらっていました。

仕事をしながらの育児だったので、最初の頃、妻が夜勤勤務の頃は、普段は保育園に預けていたのですが、土日は一日中子供達と向き合う日々でした。

睡眠時間もままならずに、あまりにもダメだと思った時には、叔母にご飯を作ってもらい、子供達を見てもらいながら、仮眠をさせてくれました。

叔母たちに教わったこと

叔母たちが助けてくれたのには、母が亡くなっていたこともあるかと思いますが、やっぱりきちんと育児をやっていたから、だと自分では思っています。

叔母たちに子供が生まれて最初に言われたことは、「〇〇ちゃんが頑張って産んでくれたんだから、お前も頑張れ!」という言葉でした。

わたしはちょっと衝撃でした。その言葉の前までは、その当時の常識だった、女は家庭、男は仕事だという考えがまだ少し残っていて、甘えた考えでいました。

でもその言葉から、わたしは変わることができました。

叔母たちは、私を甘えさせるのではなく、きちんと育児をする意識をつけてくれました。

今思うとそれが、すごくありがたいことだったと思っています。

母の分まで可愛がろうと思った

わたしの母は50歳で亡くなりました。

それまでよく、孫の顔が見たいなぁって母は言っていました。

母が生きているうちに孫の顔を見せられなかったことがちょっと悲しいです。

でも、その代わりに自分に誓ったのが、母の分まで、わたしが子供たちを可愛がろうということでした。

その思いは、きっと叔母たちも理解してくれていたのだと思います。

ワンオペ育児で孤独感を感じた時に行った施設

一人で育児をしている時には、公的な施設や、子育ての設備が整ったショッピングモールなど、いろんな施設を試しては、孤独を癒してくれる場所を探していました。

わたしの体験で、育児の孤独が紛れたのは次の様な場所でした。そこに行けば、人々がたくさんいるし、子供が遊んでくれていると少しホッとしていたのを思い出します。

小さい子を連れてのお出かけには、リュックいっぱいにオムツやお尻拭き、着替えの衣類、離乳食セットや、ミルクセット、ごみを入れる袋やオムツ交換時にしく敷物などかなりの量を準備しては出かけていました。

お出かけの大変さよりも孤独感の方が辛くて息が詰まりそうになると、お出かけしていました。

イオンモール(ショッピングセンター)

特によく出かけたのがイオンモールでした。(当時はジャスコだったかな?)

あの頃は、わたしの住んでいる地域で唯一男性のトイレにオムツ替え用のベットがあったり、赤ちゃん休憩室があってミルクも作れたので、子供のものの買い物のついでに私自身も賑やかな世界を楽しんでいました。

子供達も楽しんでくれるし、わたしもその姿を見ながら座っていて、隣になった方とちょっとした会話をするだけでも心がスーッとしました。

子育て支援施設(保育士がいる子供広場等)

わたしの住んでいる地域には、幸いな事に何箇所か保育士がいる子供広場的なところがありました。

ショッピングセンターでも辛くてダメな時には、保育士さんがいる施設に登録して、子供達を見てもらいながら、読書したり、ぼーっと子どたちが遊んでいるの見たり、一緒になったママさんたちとおしゃべりをして、共感してもらえたりするのがすごく嬉しかったです。

同い年ぐらいの子供達が集まる公園

遊具が充実している公園にもよく出かけていました。子供が飲むジュースや汗拭きタオル、ティッシュなどを準備して、遊ばせてるのも楽しかったなぁって思います。

本当にいろんな公園に連れていきました。隣の隣の市の公園が楽しいよって聞いたらそこまで行ってみたりもしていましたね。

やっぱり同い年の子が集まっているとうちの子たちも楽しいらしくて、よく遊んで、その後はお昼寝をよくしてくれたので、遊ばせるのはいいなって思っていました。

二人目の子が遊べる歳になった頃には、屋内型の遊具施設がたくさんできて、雨でも雪でも遊ばせることができるのですごく助かったのを覚えています。

ワンオペ育児で孤独感が解消するのは妻が帰ってくる週末

まだ、夜勤の働き方だった妻の時は、妻が休みの日には妻に見てもらえるのでまだ楽な方でした。ある時、妻が夢を叶えたい、単身赴任すると言った時には正直ショックでした。

わたしもショックだったし、子供達もかなり悲しんだのを覚えています。でも、妻が私を信頼して大切な子供達を私に預けてくれることが嬉しくて、頑張る気になれました。

夜勤業務から、単身赴任へ

仕事が変わった当初は、下の息子も保育園の年中さんで、妻が単身赴任先に帰る日には毎回号泣でわたしたち夫婦も涙がでました。

そんな息子の気持ちを落ち着けながら、寝かしつける日々を過ごしました。

妻がいなくても子供達が暗い気持ちにならない様に、お風呂では、創作即興話を作って話して聞かせたり、寝る前には何度も絵本の読み聞かせをしたりしていました。

その頃は、まだ料理のレパートリーも少なかったので、いろんな外食や、簡単料理アイテムに助けられていました。

仕事も激務で、なかなか仕事が終わらない日もありました。

平日の日でどうしようもない日は、妻の実家へ預けて仕事へ

しばらくは、そのブラックな仕事場で働きながら育児をしていました。

どうしても仕事が抜けられない時には、妻に実家に頼み込んで、保育園のお迎えから、夕食を食べさせてもらってなんとかしのぐことができました。

夜、仕事が終わって子供達を妻の実家に迎えに行って寝かしつけ、また朝から子供達の支度をして、保育園に預けて、仕事をする日々が続きました。

この生活は長くは続かず、わたしは定時で帰れる仕事に転職しました。

給料は下がりましたが、常に焦らずに保育園にお迎えにいけるので精神的に楽になりましたね。

転職でわたしの給料は下がりましたが、妻の夢が叶い初めていて、妻の収入が倍以上になっていたので、家計も辛くならずにすみました。

単身赴任中、唯一帰ってくる土日

本当に土日が待ち遠しい日々でした。子供達もママが帰ってくるとすごい大喜び!わたしもすごくホッとしたのを思い出します。

夫婦で普通に家に一緒にいることがいかにありがたいことか、実感していました。

妻も離れている分、子供達と一緒にずっといてくれるので、わたしは自分の時間を土日には楽しむことができました。

これはかなりの救いで、定期的に決まって帰ってくるんだとわかっているだけで、平日には頑張ることができました。

まとめ

当時は、わたしは男性ということもあり、多少育児が雑でも許してもらえる雰囲気がありましたが、ママたちだとそうはいかないですよね。

できて当たり前と思われているのはかなり辛いことだと思います。

そんな、孤独感がわかるだけにそんなママたちに少しでも安らげる場所として、福田萌さんのママズサロンがあるのだと思います。

わたしは、そこでちょっとでも助けになればと思って入会しました。

今はインターネットを使えば、同じ様な境遇の人たちと繋がることができます。

もし今、孤独感でつらいならば、一度ママズサロンを訪れてみてはいかがでしょうか?きっと同じ様に話せる仲間がみつかると思います。

では、またね〜。

\ママたちの居場所が見つかる!/

ABOUT ME
リン☆だあく
山形に住むこのメンバー唯一の主夫です。40代で、高校生の娘と、中学生の息子育てる育児パパでした。最近では子供たちも成長したので、自分で自分の事をやってくれるのでようやく自分の時間が取れるようになりました。パパ代表で頑張ります!