育児体験談

災い転じて福となす!?1人目と2人目の出産の違い-マタニティ~出産編

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3歳1歳の男の子兄弟ママのだいきちです(*^-^*)

普段はフルタイムでイベント企画制作の仕事をしながら、家庭では主人におんぶにだっこのゆるーい主婦です。

2019年4月に2回目の育休より復帰してからもうすぐ半年。

毎日を転がしていくことで精一杯ですが、

カーサンズブログに出会って、懐かしいマタニティ&出産時のことを思い出しました。

ここでは1人目の時と2人目の時の違いを書き残したいと思います。

妊娠時の違い/不妊治療失敗後、自然妊娠した長男 VS すぐにやってきた次男

4年の不妊治療と仕事との両立の悩み

2011年に結婚し、それから4年、不妊治療をしていました。

もともと粘膜下筋腫(子宮内膜にできる筋腫。小さくても着床に弊害がある為、不妊になる可能性が高い)があり、不妊治療に入る前に手術をして子宮内を整えることから始めました。

しかし、せっかく手術をしたのに、ちょうど仕事が順調に回ってきた時期で、治療に対してはサボり気味に、、、

高齢出産と言われるライン、35歳を前にして、そろそろ本気を出さなくてはと思った時にはまたもや粘膜下筋腫が再発。

結果2回の手術、タイミング法数回、人工授精数回、そして体外受精(顕微授精)をしましたが妊娠せず。。。

それも当然。始発~終電、深夜作業当たり前の激務の中での不妊治療がうまくいくはずがありません。

仕事との両立があまりにも辛くて、また、治療で処方されるホルモン関係の薬の副作用も辛くて、「もう消えてしまいたい」と思い、夜中に突然泣き出すくらい不安定な時期がありました。

不妊治療失敗からの自然妊娠

主人と相談し、その時取り組んでいた大きな案件を納品できたら、退職も視野に入れて働き方を調整する、それまでは一旦治療を休む、と決めました。

腹をくくって仕事に専念できたことが結果精神的ストレス軽減になったのか、

引き続き激務の毎日は相変わらずでしたが、イベント本番を迎え納品できた1週間後、長男妊娠が判明したのでした。

待ったなし!?2歳差妊娠にトライ

一方、次男妊娠時はと言うと、、

長男の約半年間の育休を経て、仕事復帰。

37歳になる年だったこと、また、長男がなかなか授かれなかったことを考え、2人目はすぐにトライしようと決めました。すると、復帰5ヶ月で妊娠が判明。

1人目との違いにおどろきました。

マタニティ期/激務相合わらずな日々 VS ゆるゆる仕事+長男のイヤイヤ期

切迫流産と隣り合わせの激務、そして会社が倒産!

長男を妊娠したあとも、結局仕事は続けていたので、始発終電はないにせよ、相変わらず忙しい日々を過ごしていました。

そして、妊娠4ヶ月の頃に長年勤めた会社が倒産するというトラブルがあり、その後作業や別会社への移籍、案件の移行手続きでてんてこ舞いに。

あまりに忙し過ぎて、主人には、「それ以上無理するのは、お腹の子を虐待しているのと同じ。」と言われてしまうこともありました(>_<) 

切迫早産で入院

何とか産休ギリギリまで働きましたが、産休に入ったその日(33週)、「切迫早産」になり、1ヶ月入院することになりました。

大事には至りませんでしたが、常にギリギリのところにいたマタニティ期だったと思います。

今思うとぞっとします。

災い転じて福となす

一方、次男のマタニティ期はと言うと、、

「災い転じて福となす」と言うべきか…

前会社が倒産したことで、案件が整理され、自分の裁量で仕事を進めることができるようになっていました。

会社の場所が遠いので、つわりが辛かったり、検診があったりする時は「自宅作業」にすることも可能になりました。

妊婦であるだけでなく、当時1歳の長男がいた為、現場があっても、遅くならないように配慮していただいたり、深夜作業や出張からは外してもらったりと、周りのスタッフにはかなり助けてもらいました。

かなりゆるーい勤務状況だったと思います。

家庭では長男がイヤイヤ期に突入していたので、彼と向き合うことに苦労しましたが、幸い主人が夜早めに帰ってきてくれていたことと、昼間は保育園にお世話になっていたので、大きな無理をすることなく、マタニティ期を過ごすことができました。

1人目で切迫早産だった人は次も切迫早産になりやすい、と聞いていたので、いつその前兆が来てもいいように、その時は準備をしていました。(持ち物類や仕事関係のほか、心の準備も。)

結果、産休に入ってからも、切迫になることなく、出産日までゆっくりと過ごすことができました。

出産時/早まった予定帝王切開からの一過性多呼吸でNICUに搬送された長男 VS 通常の予定帝王切開で順調に生まれた次男

36週での帝王切開

不妊治療時に2回手術をしていたことにより、自然分娩は難しいと言われていました。

その為、長男の時も次男の時も最初から帝王切開が決まっていました。

(そして2人とも逆子だったので、帝王切開は決定的でした☆)

長男の時は「切迫早産」で入院してから3週間が経っており、逆子で臍帯脱出(破水し、臍帯が胎児より先に下降し、破れた卵膜から腟内へ脱出することをいう。

臍帯血行が止まり、胎児は急速に酸素の供給がなくなり、無酸素症から胎児仮死や死亡の恐れがある)の可能性があるので、体重も2000gを超え、肺機能、心臓機能も成熟してきた36週で予定帝王切開をしましょうと提案されました。

本来は37週以降の正産期に出産をしたかったですが、逆子状態で破水をする方が怖いな、と判断し、36週で出産。

その時またもやトラブルが…!

一過性多呼吸でNICUに

お腹を切り、「赤ちゃん出ますよー」の時に「グッ」「グッ」と苦しそうな我が子の声がしました。

よくテレビなどで目にしていた赤ちゃんの「オギャー」の声が聞こえない。何かが詰まったような、泣きたいのに泣けない、そんな声でした。

一瞬、私の顔の横に置かれましたが(帝王切開なので腕は固定されていました 汗)、すぐに保育器に入れられました。

「一過性だからすぐに会えますよ」と産科の医師には言われましたが、その後病室でお腹の痛みと戦っていると、小児科の先生がやってきて、「長男くんは今日が山です。すぐに提携している大学病院のNICUに搬送します。」と言われ、パニックに。

なぜ正産期まで待ってあげられなかったのか、そもそも、仕事をもっと無理がかからないように調整できなかったのか、自分を責めました。

当日の夜には、命に別状はないことはわかりホッとしましたが、翌日歩けるようになっても、産科にいるほかのママさんたちのように抱っこしたり、授乳をしたり、面会に来た家族に会わせてあげたりができず、本当に悲しかったです。

少し距離のある大学病院のNICUに長男は入院中だったので、自分が入院中の病院の許可を得て、

特別に外出が許された3時間だけ、会いに行くことができました。でも保育器の穴に手を入れて、そっと撫でてあげることしかできませんでした。

私が退院してからも長男は入院中だったので、毎日搾乳をして母乳を届ける日々でした。

そして約1か月後、長男は無事に退院しました。

トラブルなし、予定通りの次男出産

一方次男はというと…

39週、予定通りの日に入院し、翌日の朝に帝王切開で出産。無事に元気な産声を聞けました!

長男の時のことがあったので、この声を聞けたときには、ホッとして涙が出ました。

切った当日はカテーテルも入っていたりでベッド上安静でしたが、看護師さんが次男を連れてきてくれて、

小さな我が子と添い寝ができました。

生まれたばかりはこんなに小さかったんだと、びっくり。翌日より他のママさんに交じって授乳ができて、有意義な入院生活を送ることができました。

長男がくれたたくさんの経験と対応策 VS 次男がくれた安心そして2人がくれた、仕事、家庭、健康のバランスの取れた毎日

以上、1人目と2人目のマタニティ期と出産時の違いです。

文章量を見ても一目瞭然ですが、長男の妊娠・出産はトラブルだらけ、次男は全てすんなり、といった感じでした。

次男の「すんなり」は長男がくれた贈り物だと思っています。

長男がくれたたくさんの経験が対応策を生み出してくれて、日々、無理をせずに過ごすコツを見出していくことができました。

そして、次男が生まれ、2人がいることで、わちゃわちゃしながらも、多少の悩みに向き合いながらも、「基本幸せだな」と思える、バランスの取れた毎日を過ごすことができています。

不妊治療や激務な仕事、そして出産時に起きたトラブルは、起きているときはつらく、苦しいものですが、

ひとつひとつに対して向き合い、周りの人たちに甘えながら前に進むことで、結果、自分の財産と言える経験に育っていくと実感しています。

トラブル出産だった長男はスクスクと大きく育ち、今や3歳。お友達も弟も家族も大好きな男の子になりました。

すんなり派の次男は、お兄ちゃんに時折おもちゃを取られて悔し泣きをしますが、それでもお兄ちゃんが大好きで、抱き着いてギューっとするほど仲良しです。

これからも色々なことが起こると思いますが、家族の健康、自分の健康を第一に、仲良し家族でいられるように、ゆるゆるとママ業に励みたいと思います(*^_^*)

ABOUT ME
だいきち
福井県出身、横浜在住、都内勤め、2児の男の子ママ。 若い頃よりイベント制作という激務に揉まれ、いつも辞めたいと思っていたが、2人の育休を経てもなんとか続けられていることに感謝している。 最近は開き直って、イベントプランナーとしてできることを邁進中。 人生半分は都会にいるつもりだが、未だ野暮ったさが抜けないことが悩み。