ママエッセイ

3歳息子をおいて【100日間入院】を余儀なくされました

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切迫早産体質な私、ひとりめもふたりめも、妊娠中入院を経験しました。

ひとりめの時は、初めての妊娠、つわり期間を苦しみながらもだんだん落ち着いて、やっとマタニティライフを楽しめるとおもった途端。切迫早産の診断が下りました。

妊娠7ヶ月から自宅安静。妊娠8ヶ月から入院しました。

切迫早産とは、早産になる危険性が高いとされる状態。

まだ赤ちゃんが未熟な状態なのに子宮収縮が起こったり子宮頸管が短くなってしまったり子宮口があいてきてしまう…など早産の一歩手前の状態です。

ひとりめの時は2ヶ月入院し、どうにか産まれずに正期産(適した時期でのお産)までこれて37週2日での出産でした。

そしてふたりめの妊娠で・・・

そしてふたりめ妊娠中

切迫早産の可能性があると思っていた私は、ひとりめの時以上に、なるべく動かずに
気をつけて生活していました。

そんな妊娠6ヶ月(20週)の妊婦検診の時に今の時期は4cm〜5cmあるべきの子宮頸管が1cmしかないと告げられ「ほとんど流産している。大きな病院に行ってください」と紹介状をもらいました。

突然の事に、頭の中は真っ白。病院で涙をこらえるのに必死でした。

次の日、夫とともに大きな病院へ行き、即入院。

当時、3歳だった息子を残して、3ヶ月半の入院生活がはじまりました。

切迫早産の治療法は、

  • ベッド上での絶対安静。
  • 子宮収縮をおさえる為の24時間点滴による薬剤投与。
  • 感染による破水を避ける為の消毒&膣剤投与

私の病院では、以上の3点でした。

入院中は起き上がる事すらNG点滴に24時間繋がれてる不自由さ、3〜4日毎に点滴を差し替える痛み。
それに加えいつ早産になるか分からない不安で、度々ひとり病室で涙を流していました。

ただ、息子が面会に来た時には決して泣かず、常に笑顔で過ごせるように気をつけていました。

息子と過ごせる短い時間を楽しい時間にしたい、という気持ちももちろんですが実は入院初日に、私は不安と淋しさで息子の前で号泣してしまいました。

その私の姿を見た息子も、大泣きしてしまい…私は大反省。

母としていま息子に出来る事は、笑顔で過ごし息子に心配させない事だと思い「冬になったらお家に帰るからね。一緒にいれないけどいつもあなたの事を思ってるよ」と面会に来る度に伝えていました。

100日間の入院生活の乗り切り方

100日間の入院生活の乗り切り方は
  1. 好きな事をする
  2. SNSを遮断
  3. 仲間と励まし合う
  4. 泣きたい時に泣く
100日間の入院生活の乗り切り方
①好きな事をする
ポータブルタイプのゲームを持ち込んで、ひたすらゲームをしていました。
小さな達成感があり、いくつもゲームをクリアしました。(ソフトはメルカリで買い夫に届けてもらいました)
②SNSを遮断
インスタなどで、旅行や食事など楽しく過ごしてる投稿が辛かったので、一切SNSを見ないようにしていました。
③仲間と励まし合う
インスタで切迫妊婦アカウントを作り、全国の切迫入院の方々と励まし労り合いました。
励みになったし自分の記録にもなりました。
 ④泣きたい時に泣く
色々と工夫しても辛い日や、眠れない夜もあります。そんな時は泣いてました。
特にシャワーを浴びた時に涙を流す事が多かったです。

そして、出産の日!

20週から入院し、27週には子宮頸管は0mm

29週には子宮口3cmあいてましたがなんとか34週までもちこたえ、35週で少し早産ではありましたが無事に2424gの女の子を出産する事ができました。

今は2歳を迎えすくすく育っています。

突然の入院にシングルファザー状態になってしまった夫、ママがいなくてもがんばった息子、お腹の中にいた娘と家族で乗り越えた100日間でした。

100日間入院生活:まとめ

私の周りには切迫早産の方があまりいなくて、なかなか職場にも理解されず…
しかしママズオンラインサロンに入ってみたら、切迫を経験されたママもたくさんいて共感してもらえた事がとても嬉しかったです。

切迫早産で不安な気持ちを抱えてる方に、少しでも届けばいいな。という気もちで書かせていただきました。

寄稿:あんなさん 

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